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木漏れ日の空間にようこそ !!

木漏れ日の空間にようこそ !!

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b20【教義は行いによって示して行くものです】
幸福の科学、総裁大川隆法は、神の代行業務は、神と相談して御なっていると、間接的に主張していました。彼の教説を聴いていた人なら誰でもそのように理解するでしょう。上記教説から彼の思想の根幹を推理することができます。簡略に述べれば、「この世は神の意志に従って万事行わなくては調和などできない。しかし、神が直接この世の事柄に関して、いわば、行政を行うことはできないのだから、誰がが代行して行わなくてはならなならなくなります。「その使命を私は戴いている」とするものです。霊集はその証であり教説そのものではなく、教義は行いによって示して行くとするものです。(私の場合は過って行ったことを示している)言われてみればその通りです。(私の場合は言葉で言われた分けではなく気付いたいたことになります)

上記が事実として、(事実であるか?どうか?は検察の調査に委ねられます)それでも、私が批判してきたことに間違いがありません。政祭一致はいけません。政治志向の強い大川隆法の思いつきそうな発想には間違いありません。その他の批判に関しても、間違いはありません。唯、良心の観点からすれば、政祭裁一致の体制による結果が出ない以上、処罰の対象となる弊害はあつても、処刑される程の罪とは言えません。反省を行いで示したとして、神に対して、神としての使命を果すことにつまづいた、心情を、如何に、名文で露吐(懺悔)したとしても、間違いが認められてない内容は、無知なる者の目はごまかすことはできても、神の目はごまかすことはできないと思います。私は、彼の反省文を読んだ分けではありません。

霊感で知ることができました、と云えますが、反省文にはなっていないのです。(上記が事実でなければ、私の思い込みになります⇔霊感があるとは言っていませんが,感性は霊感に属するものです⇔感性があることは認めている)したがって、神、代行業務は続けることはできなくなると考えなくてはいけません。(勿論本人の意志は維持されます)間違いを認めて、神ではなくなったなら、(代行権を返上すれば)使命の変更は認められ精神の正常性は維持されると推理できます。しかし、以前神あった時の罪は逃れられるのです。但し、教義、思想、教義に関することに限ると思います。又、神に謝罪したとしても何回も変更すれば、この世的な信頼は失われます。「教義は行いによって示して行くものである」については、私は同時進行でなくても裏付けがあればよいと思います。(2011/06/17)









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